2018年9月8日(土)
Kiss Me Deadly 1955年 アメリカ
ピアフィルムフェスティバル、PFFの特集でアルドリッチ作品の上映がありました。
この映画を始め、10作品が上映されます。
今日は初日ということで、映画のあとに黒沢清監督のトークショーもありました。
これがとても面白かった。
さて、映画ですが、まずこの時代の映画として、どうなのかが良くわかりません。
冒頭、裸足でトレンチコートの女が夜の道路を走る。何が起きたか、いい場面です。
その女を乗せることになるマイク・ハマー(ラルフ・ミーカー)。
カーラジオから流れるナット・キング・コールの「憂鬱でも(Rather Have A Blues)」という曲に合わせて、タイトルロールが上から流れてくる。
それは車のフロントから流れてくるようなイメージ。
途中の検問で、精神病院から女が逃げたということがわかり、
その女クリスティは、バス停まで、と言う。
クリスティは謎めいた女で、詩人からとったという名前、マイクは甘い汁をすう男で、自分からは与えないタイプ、と言う。
途中、ガソリンスタンドで止まり、彼女は手紙を託す。
そこを出ると、男たちの車につかまり、二人とも車に乗せられて崖から落とされる。車は燃え上がる。
マイクは気が付くと病院。
(この辺から、あれ?と思う場面が多くなる。まず、彼は3日ほど意識がなかったのに、顔にも体にも傷がない)
警部の取り調べ、FBI?からもケチな私立探偵という侮辱を丸出しにして取り調べられる。
事務所に帰ると、近所の修理工場のニック(バンバブーン!)が、タフな男二人が来たと教えてくれる。
そして、事務所には、オープンリールの留守番電話機。これが驚きです。
もちろん今では家庭用の電話機にもついてますが、この時代にこんなものがあるとは!
しかも壁埋め込み!
秘書のヴェルダとキス。
「窓から離れたら?投げキッスが当たるわよ」このセリフの意味は?
夜の街でつけてくる男。
ナイフで襲ってくるが、逆に階段から投げ落とす。
・・・とまあこんな調子で、物語は続いていくのですが、どうも筋がよくわからないのですね。
(これはこの後に書く黒沢清監督のトークショー(講演?)でもそういう話がありました)
そのあとも、警察やFBIからは眼を付けられ、正体不明の男たちからは爆弾をしかけられたりします。
それでも、謎の女クリスティーナの同居人カーヴァーという女を探し出し、レイ・タイカーという男から情報を聞き出したり
ピカールというクラブで、オープニングの曲を歌う歌手が出てきたり。
基本、ハードボイルドなので、セリフが凝っているんですが、意味が良くわからなかったりする。
秘書のヴェルダが捕らえられて、自宅で逆につかまり、海辺の家のベッドに縛られる。
そこは縄抜けで逃げ出す。
クリスティーナ・ロセッティの詩集、「私を覚えていて。もし暗黒と腐敗が私たちの思い出を残すなら」・・・というような内容。
クリスティーナの死体からロッカーの鍵を見つけた医師、金を要求されるも、
いきなり机の引き出しに手を挟み付けてとって、ハリウッド・アスレチック・クラブ(HAC)へ。
そこの善良そうなフロントのオジサンをまたもや暴力的に倒してロッカーを開ける。
熱い、開けると光が漏れる。
マンハッタン計画、ロス・アラモス、トリニティ。
ヴェルダが調べていたソベリン博士を調べると海辺の家へ。
カーヴァーを名乗っていたのは、その手下のガブリエルだった。
最後はそのガブリエルが箱の中身を独り占めしようとして、開けてしまう。
閃光、燃え上がる館。
やっとのことで逃げ出して海岸で呆然とするマイクとヴェルダ・・・。
なんだけ粗筋だけ書いてもよく思い出せません。
黒沢監督の解説(印象)を読んでもらったほうが、何百倍もいいと思います。(下に続いてます)
監督ロバート・アルドリッチ
製作ロバート・アルドリッチ
原作ミッキー・スピレーン
脚色A・I・ベゼリデス
撮影アーネスト・ラズロ
作曲フランク・デヴォール
指揮フランク・デヴォール
歌フランク・デヴォール
美術William Glasgow
編集マイケル・ルチアーノ
録音ジャック・ソロモン
●出演者
Mike_Hammerラルフ・ミーカー
Dr._Soberlinアルバート・デッカー
Carl_Evelloポール・スチュワート
Eddie_Yeagerファノ・ヘルナンデス
Patウェズリー・アディ
Fridayマリアン・カー
Veldaマキシン・クーパー
Christinaクロリス・リーチマン
Lily_Carverギャビー・ロジャース
Nickニック・デニス
Sugarジャック・ランバート
Charlie_Maxジャック・エラム
※データはmovie walkerです。
ここからは黒沢清監督のトークショーダイジェスト。
荒っぽいメモですので、間違っているところもあるかもしれません、ご容赦を。
でもとても面白く、興奮したトークショーでした!
WEBでの紹介ページもあったので、そちらもご参考に。
大筋はわかるが、そのほかの部分が何度見てもよくわからない映画。
1970年代高校生のころ、「ロンゲスト・ヤード」「北国の帝王」などが素晴らしく面白かった。
(バート・レイノルズが数日前亡くなったことも何かの縁か)
ジョン・ウェインの西部劇や、チャールトン・ヘストンの歴史劇など、正義もの、マッチョな世界はすでに終わっていた。
サム・ペキンパー映画でのマクィーンとか、ジェームズ・コバーンとかジョージ・C・スコット、クリント・イーストウッドなどの時代になっていた。
ペキンパーは〇〇、フライシャーは聡明、ドン・シーゲルは冷徹。
アルドリッチは本気の男たちの戦いを描いた。それは昔の復活ではなかった。
古典の復活は、80年代に入ってからルーカスや、スピルバーグなどがやっていく。
古典の復活ではない、無目的で無意味な戦い、どうといことのない戦いを、目の覚めるような痛快さで描いて、本当に面白かった。
「キッスで殺せ」について
今までに4回見ている、今日で5回目。
何度見ても全貌がわからない。
主人公がなぜ謎を追いかけるか?
・お金のため?
・女との恋仲?
・車修理工への復讐?
それらが混然として、その時その時の突発性で前に出てきて、決まったレールの上を走っているような。
このような主人公をあまり他に見たことがない。
悪者も同じ。
悪の動機がない。その場に応じて悪を行っている。
何か高尚な裏があってわかりにくいわけではない。
このころの映画「ローマの休日」フェリーニの「道」はいまでもわかりやすい物語。
フィルムノワールというのは、
「マルタの鷹」から始まり「黒い罠」までとされる。
ジャック・ターナーの「過去をのがれて」という傑作があるが、わかりづらい。
ハワード・ホークスの「三つ数えろ」も物語はわからない。
ゴダールの「探偵」もわからない。
日本では探偵よりも刑事が主人公になり、わかりにくさがあまりない。
「クリーピー」では主人公は警察をやめた刑事事件の研究者となっていて、探偵に近かったかもしれない。
それでも最初は趣味として、後半は妻への愛情が動機になっている。
なぜ「とんでもない」と感じるか。あちこちにぎょっとなる瞬間がある。
・タイトルが上から下に流れる
・女クリスティーナがマイクを見つめてニターと笑うというような行動のアンバランス
・秘書のヴェルダ、同居女性のカーヴァーという女性、やたらキスする
・プールサイドの男の場面で、うしろからついてきて突然キスする女
・主人公のアンバランスさを意に介さない
・マイクがやたら平手打ちをする
・車に爆弾がしかけられていても驚かない
・謎の正体がとんでもない(プルトニウム)
この謎については、当時ヒチコックの「悪名」でのウラニウム、
ポランスキーの「フランティック」で核弾頭の起爆装置、などあったが、
ヒチコックのいうマクガフィンというのは、いわば重要だけれど何でもいいというもの。
しかしこの映画のプルトニウムは全く違う。
運命、業、あるいはほとんど「死」と言ってもいい。
こんな恐ろしい物体は他にない。
金や宝石、麻薬などがふつうのところで、この映画のこの物体はすごい。
それよりも、本当は誰が悪かったのか、最後までわからないことも特徴。
謎に導かれる人々が重要で、善悪の区別がつかなくなっていく。
これほど死の本質を明示して、露骨に謎を出したものはない。
謎そのもの、悪そのものが正体を現わす、他にそんな映画はない。
以上